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帰り道、鈴木くんの家の前に
メモ帳の本体から切り取られた一枚のメモ用紙が落ちていた
メモ用紙には重石が載せられていて
風に飛ばされることのないように
ずいぶん丁寧に落とされているようだった
僕はその一枚のメモ用紙を右手で拾った
メモ用紙には「これは落し物です」と書かれていた
不思議な匂いのする文章だと思った
僕はメモ用紙を裏返してみたり
軽く夕陽に透かしてみたりしました
どうやら住所や連絡先は書かれていないようだった
アスファルトの上に置かれていたせいか
小さな石や汚れがわずかに付着しているだけだった

僕は近くの交番に届けることにした
ホームルームの時間に斉藤先生が言っていたから
落し物は落し物がきちんと落とし主のところに帰れるように
職員室、または先生のところに届けてくださいね
お外なら交番のお巡りさんのところに届けてくださいね
思い出したから
僕は勇ましく歩き出した
何かが落っこちたり
すぐに欠けたり
二度と失われたりすることのないように
堂々と胸を張って歩いた

塀の上で寝ている猫
田中さんの家
赤茶けた土の家 薄水色の空の家 香る黄色の花の家
昨日、孝くんや満くんとおにごっこをした公園
つい最近に開業したばかりの歯医者さん
24時間開いているらしいコンビニエンストア

僕は交番のお巡りさんにメモ用紙を手渡した
メモ用紙には「これは落し物です」と書かれている
にも関わらず、メモ用紙を手にした交番のお巡りさんは、
「これは落し物ではないんだよ」
と僕に優しく告げた
意識してなるだけ優しく
頭を撫でるようにしてたしなめたのだった
メモ用紙は結局また僕のところへと戻ってきた
川の水たちが無意識のうちに海へと還るように
極ありふれて自然なことのように
しかし、これは僕のものではなかった
間違いなく、僕のものではなかった
「僕に返されても困ります」
「これは僕のものではないんです」
と言いたいのを必死で堪えた
胸から先に溢れ出ることのないように
心が勝手な行動をしないように押さえつけた
お巡りさんには僕の考えていること
望んでいること 今までに学んできたことは
あまり正しく効果を発揮することはないようだった
次第に目じりに悔しさが滲んだ
僕はどうしようもなくなり
もと来た道を引き返すことにした
ぼんやり虚ろに
宛てもなく転がるみたいにして

頑張り過ぎているコンビニエンスストアが目に入った
乳歯と弱さとを引き抜いてくれた歯医者さんの横を通り過ぎた
昨日、ママが迎えにきてくれた公園も通り過ぎた
誰が住んでいるのか分からない―
苗字だけは知っている家々が立ち並んでいた
田中さんの家はそこにちょこなんと紛れ込んでいた
塀の上を猫が歩いていた

そうやって
僕はまた鈴木くんの家の前に戻ってきた
鈴木くんの家の前の
ついさっきメモ用紙の落ちていた場所に戻ってきた
重石は何の変化もなくそこに置かれていた
僕は左手で重石を持ち上げて
元あった場所 元あったとおりにメモ用紙を戻した
メモ用紙には「これは落し物です」と書かれている

僕は物事を知らなさ過ぎたのかもしれない
僕はまだ何もできない子どもだったのかもしれない
僕は斉藤先生の言っていたように 望んでいたように
落し物がきちんと落とし主のところへ帰れるように
するためのお手伝いをすることができなかった
次第に陽は暮れ 陽気なオレンジ色の微笑から
濃厚な優しさを通り越し
次第に暗く 深い孤独へと姿を変えていった

僕はすっかり途方に暮れていた
何とかしてあげたいのに
何とかしてあげられそうにはなかったから
遠くの家からは犬の遠吠えが聞こえてきた
あまりにひとりぽっちに満ちた鳴き方だった
鈴木くんの家からはシチューの匂いが漂ってきた
僕はふいに物悲しくなった
昨日 公園まで迎えに来てくれたママのことを思い出した
そうしてママの左手のことを思い出し
とても人恋しくなった
同時にママをかけ離れて懐かしく思った
遠い日の温もりのように
既に失われてしまった何かのように感じた
でも だからと言って家に帰るわけにはいかなかった
それは逃げることのように思えたし
まるで友達を裏切ることのように思えたから

僕の右手に
大好きなママのあたたかい左手はなかった
落し物のメモ用紙も
分からず屋のお巡りさんもつながれていなかった
強情で意地っ張り 未熟な僕の手には
強情で意地っ張り 未熟な僕の手だけがつながれていた
僕は僕を握り続けていなければならなかった
そうしなければ僕もまた
メモ用紙のように落とされて
現実の世界から途端に忘れ去られてしまうような気がした
僕は成すすべなく
長い間、鈴木くんの家の前で立ち尽くしていた
辺りにはしっとり夜が行き渡り
その頃には、落し物のメモ用紙に書き込まれていた文章を読むことはできなくなっていた
そのとき

僕の名前を呼ぶ声がした

僕の名前を呼ぶ声がした

何度も僕の名前を呼ぶ声がした
田中さんの家のある方角から
僕の名前を呼ぶ声がした
僕は辺りを見渡した
するとママが懐中電灯を手に
駆け足で近づいてくるのが見えた
手を振りながら近づいてくるのが見えた
僕は左手で自分の顔を拭った

僕はすっかりいつも通りの、陽気な僕に戻っていた
「今晩がシチューだったらいいな」
などと考えていた

僕の足元にはもう―

重石やメモ用紙は落ちていなかった

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