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私の死を見つめる心 (1.38KB)

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私がこの本を選んだのは、癌の告知、言い換えれば死の宣告を受けた岸本英夫さんに凄く興味があったからである。私はこの本を読む以前に、自分なりに死というものの存在を考え、死を見つめたことがある。小さい頃から今に至るまでよく死について考える。死が全ての人に必ずやってくるものであることを知ってから、それ以来、死を本当に恐ろしいものだと思う。人間が死ななければ良いのにと、初めは強く願っていた。

岸本さんの考え方では、現代社会は非常に死を忘れさせてくれる社会であるとある。確かに私もそうだと思う。昔と違い、寿命は延び、医療分野においても、昔とは比べ物にならない程に発達している。だから私のように、このような年齢から死をみつめるということは少し珍しいことなのかもしれない。私は死について、何かしら興味がある。故に彼の考え方、意見が知りたかったのだろう。

岸本さんは医師から直接癌の告知を知らされて生命飢餓状態になっても、彼の世の存在を完全に否定し続けた。私もまた、彼の世の存在は一切信じない。でも、もし生命飢餓状態になったとしたら、私はこの考えを突き通すつもりだけれども、実際維持できるかはわからない。私は今まで彼の世の存在というものは、信じることで一種の逃げ道として、利用できるものだと思っていた。しかし、そうではないことに気づかされた。彼の世の存在を信じる立場と、信じない立場とでは、死というものの怖さは比べ物にならないかもしれない。でも実際に死が近づいた時、信じているその信念は揺らぐかもしれない。一度揺らいでしまったなら、彼の世があるか、あるいはないかという二つの思考が入り乱れ、精神的に狂ってしまうということを気付かされた。このようなことに関わらず、私は最初から岸本さんのように初めから信じない方に深く同意をする。

もし彼の世が存在したとしても、私は彼の世にいきたいとは決して思わない。永遠の生命を持ちたいとは決して思わない。なぜなら、永遠の生命を持ち、永遠を生きることが私には死より恐ろしいもののように感じるからである。いつまでも永遠の時を生きるということは一体どういうものだろうかと思う。死ねないということは、一体どういうものであるのかと思う。死があるからこそ、生きることに大きな価値があるのではなかろうか。もし、永遠の生命を手に入れたら、私は生きることに喜び、楽しさ、面白さを感じることはできないと思うからである。そんな世界は私にとって理想的な世界とはなりえない。私がそういったことを望むとしたら、永遠の命よりも、例えば80歳まで生きて死にたい、とかいうものだと思う。

私は今、死んでもいいと思う。このように考え始めたのは高校辺りからだろう。これは今死にたいというわけではないし、死ぬことを望んでいるわけでもない。勿論生きたい。ただ、死というものが、いつやってくるかわからない。もしかしたら明日かもしれないし、一年後かもしれないし、何十年も先かもしれない。そういった意味で、私はある程度死を受け止めていたいのだと思う。まだまだやりたいことは沢山あるし、やらねばならないことも沢山ある。まだ死にたくないはないし、もし後一年だと言われても、少しでも長く生きることができればと望むだろう。だから同じように癌の告知を受けたとしたら、どうなるかは正確にはわからない。体験したことのない恐怖は想像するものとは一味もふた味も違うものであるだろう。故に生命飢餓状態になり、私の思考は崩れるかもしれない。永遠の生命への恐怖を後回しにし、今の生への執着を優先してしまうかもしれない。しかし、今の私にはやはり、死よりも永遠の生命の方が恐ろしいものであると思ってしまう。

私にとって死というものは、雲をつかむような存在で、いくら考えようとしてもそれを確かな存在として捉えることはできない。死を想像すればするほど、死という言葉の不思議に包まれていく。ただ、絶対的な無に違いない。死によって、私の今ある意識は消えさってしまう。岸本さんの考えがそうであるように、自分という意識が完全に消え去ってしまうということは、いつ想像しても非常に恐ろしいものだろう。死がまだ来なければ良いと思う。しかし死というものは、少しずつ歩み寄ってくるもので、これを遅らせることはできても止まらせることはできない。止まらないのなら、目をそらしても仕方がない。それなら、岸本さんが言うように、必ず来る死に対して準備をしておいた方がいいのではなかろうか。いつ襲いかかるか分からないということが、私には一番恐ろしいことである。

今私たちが生きる現代社会において、自分の明日が完全に存在し得るものかは、正直わからない。それはどの世の中でも同じである。今の世の中でも、突然にやってくる死は沢山ある。統計学的に見た確率としての値は小さくても、交通事故であったり、天災であったり、殺人であったりと突然やってくる死がある。岸本さんの場合、癌という形でやってきた。それは予想もしないことであった。予想もしないということは、何であっても恐ろしい。だから私は初めから死を何かしらの形で受け入れているつもりで生きている。

死を見つめながら生きるということは、不幸せなわけではない。むしろ私は一つの幸せだと思う。死を見つめることができるということは、言い換えれば、生命があるということである。私は一日々々を今、生きていけることが非常に幸せだと感じている。多くの人と関わりながら、この世界の一人の人間として生きていることに強く幸せを感じている。ただ平凡に生きることにも幸せがあると思う。そうすると、よく生きることには、計り知れない幸せがあるに違いない。

私がこの本を読んで一番心を打たれたことは、岸本さんの考え方である。岸本さんは癌と告知され、そこから癌との戦いが始まる。長い時間苦しみ、その中で生き抜こうと必死であっただろう。死の恐怖に押しつぶされそうになりながらも自分という正確な意識を保ち、生きようとし続けた。そして、残りの時間をよく生きようとしたし、本当によく生きた。最終的に岸本さんは、癌に少なからず感謝をした。確かに、癌のおかげで岸本さんは、よく生きようと思ったし、よく生きるということが何なのかに気付いたと思う。癌と戦いながら岸本さんは10年間、本当によく生きたと心から思う。しかし、最後に癌に対して感謝したということが、私には少し理解し難いものであった。癌とは恐ろしい病気の一つである。そんな癌に感謝の感情を抱きつつ、死んでいける人はそうはいないと思う。私だって癌になりたくないし、重い病気にもなりたくない。でも私は、癌へ感謝の念を持つ岸本さんに対して、少量の羨ましさを覚えてしまった。私は、もっともっと今をよく生きたいと思った。

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